「宮下伸」学・1 『時代時代の精神がこの国をつくる』①

箏の琴ハジメ

私は、幼少の頃から日本の伝統芸術である箏曲を学ぶ機会をもった。

さて、箏曲(そうきょく)とはこの音楽ジャンルを示す言葉であるが、楽器の名称としては「箏」と書いてコトと読む。一般的には「琴」の字もあてられるが、厳密にいうとコトというのは、大和言葉において弦楽器を表す比較的広範な概念であり、筐体に絃を張り、柱(じ)と呼ばれるブリッジを絃に立ててチューニングし演奏するものを特に「箏」と称するのである。

我が国において、長方形の板に絃を張った琴類は古来より存在したが、箏の直接の原形は中国にある。飛鳥時代に唐楽として伝来し、雅楽として朝廷において政に供され、また貴族達にもたしなみとして親しまれた。その後僧侶の修行に用いられたりしながら改良を経て、今の形になったのは江戸初期の頃である。音楽としての理論も整理され、以降、「六段の調べ」など現代へ伝わる楽曲も数多く作られるようになる。雅楽箏に対して俗箏として、三味線などと共に民衆の芸能としてに広く親しまれるようになったのである。

日本の箏でよく用いられるものは十三本の絃が張られ、右手の親指・人指指・中指に「爪」と呼ぶピックをつけて弾く。現代において演奏に供されるのはこの十三絃のほか明治以降に作られた十七絃、二十五絃などがあり、最大のものは宮下伸の父君である宮下秀冽が考案し、宮下伸により日の目を見た三十絃である。

箏の素材は古くからタンスにも用いられる桐である。桐は木材の中では比較的やわらかく軽い材質で、絃の響きを振動させるのに適していたのだろう。高崎市で長年箏を造ってきた熊嶋氏によれば、桐には無数の管が通っており、その管を通って響きが出るのだという。埃でそれが詰まることの無いようにと、私の楽器を磨きながら教えてくれた。また産地は会津のものが最高であるという。冬の厳しさが桐をより緻密な材質へと鍛え上げる。安価な楽器に使われるカナダなどからの輸入材と比べると、桐としては重い会津桐の箏は、最初のうちはなかなか「鳴らない」のだが、弾き込むにしたがって奥から湧き出るような、豊かな響きを奏でるようになる。

こんな事があった。九州の久留米で毎年行われている全国箏曲コンクールで、私がようやく入賞した折に、審査員から「もっと響く箏で演奏させたかった」とコメントをいただいた。すなわち、私自身がまだ未熟で、自分自身の楽器を鳴らしきっていなかった、ということなのでもあろう。

(『時代時代の精神がこの国をつくる』②へ続く)

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