「宮下伸」学・1 『時代時代の精神がこの国をつくる』⑤

伸は若い頃から作曲をしているが、父秀冽とはまた作風が異なる。
古典に縛られない自由闊達さは同様であるが、重厚な秀冽曲の味わい対して、伸の作品はより一音一音の爪音にこだわったシンプルでピュアな印象を受ける。

また徹底的に磨き上げられた伸の芸は、正確無比かつ技巧性に溢れ、その音色も表現が深い。十三絃は勿論であるが、父秀冽の考案により創られた三十絃を自由自在に弾く能力は凄まじいの一言に尽きる。三十絃は秀冽によって考案されてもほとんど使われず、ながらく宮下家に「吊して」あったものだったが、伸の類い希なる才能によって息を吹き込まれ、育て上げられたと言えるだろう。十三絃が長さ一・八メートルに幅が三十センチ程度なのに対して、三十絃は長さ二・三メートルを超え幅が六十センチ強という、現用されるもので世界最大の箏である。数字だけ眺めると感覚的に分かりにくいが、演奏しようとその前に座ってみると途方もない大きさに感じる。一番遠い低音の絃には腰を浮かせ前のめりにならないと爪が届かない。

ビクターから収録時リミッターをカットして原盤にダイレクトカッティングすることによって、極限まで原音を追求したアルバム『三十絃』がリリースされている。津軽三味線の高橋裕次郎が競演するインプロビセーション(即興)によるセッションもあり、数百万するというカッティング装置を何度も飛ばしたという、演奏者のみならずレコーディングスタッフも一発真剣勝負という、熱のこもったアルバムだった。こうした「挑戦」も邦楽器で行われる、非常に良い時代に恵まれてもいたのである。

ところで、伸が芸大を出て間もなくから高い評価をえていく中、順風満帆にみえた宮下家であったが、跡取り息子である伸が活躍すればするほど、実は親子間の亀裂が深まっていった。家元・秀冽の頭越しに、作曲や演奏の依頼が、若先生である伸のもとへ入るようになる。
「おふくろが楽譜を隠してしまうんだよ」
依頼が伸へ届かないことがしばしば起こるようになったのである。

「NHKも若い演奏家を出したいんだけど、本人に依頼しようとしてもその師匠の年寄りが出てきてしまう。若い人が育たない。」
保守的な芸事における家元制度の中で、伸の考え方はリベラルなのかもしれない。

「終戦直後の高崎でオヤジの目になって稽古場まで手を引いて、荒んだ世相のなか、めくらだからと投げられた石から、幼いながらも体を張ってオヤジを庇った。そんなオヤジから猜疑心をもたれたことは悲しい」
伸は弟子にあたる女性と結婚し、長男をもうけていた。妹・たづ子には弁護士の夫がいた。伸の妻は宮下宗家の中において、姑や小姑に挟まれ辛い立場にあったことは想像にかたくない。

そしてついに、伸に対して、父秀冽の意を受けた妹たづ子から「離婚して宮下家を継ぐのか、出ていくのか」突きつけられる事態となったのである。

(『時代時代の精神がこの国をつくる』⑥へ続く)

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