秀龍 SNS

アイコン(画像)をクリックするとfacebookページが表示されます。

5 days ago

秀龍
来月に「六段の調べ」を弾く機会があり、いろいろ調べていたら皆川達夫氏の『洋楽渡来考』に遭遇。もともと僕自身、「六段」の作者、八橋検校はJ.S.バッハと年代が重なっていて(八橋の死去したとされる月の半年前にバッハが誕生)、以前から小中学校で箏のお話をする時の“小ネタ”にしていたものだった。皆川達夫氏は、学術的な目線でいわゆるキリシタン音楽と「六段」成立の関係性を論じていた。本論については、僕の不勉強で全く知らなかったのだが、僕自身キリスト教の教会へ通っていた経験もあり、大変魅力的な話に感じたので、すぐに関連したCDをAmazonで見つけて発注した。「六段」は、一段目が27小節、二段~六段は全て26小節で構成されている。その「六段」が、ラテン語聖歌「クレド(信仰宣言)」の形式とぴったり一致する、というのである。一段目の最初の一小節目は聖職者の先唱にあたり、一段二段・三段四段・五段六段と、コーラス部を三回繰り返し、六段目の最後の小節は「アーメン」で締めくくられている。と。CDは10年ほど前のものだが幸い在庫があり、翌日には届いた。早速聴いた。合唱団による「クレド」の歌唱に「六段」の箏による伴奏を入れたトラックか一番の注目である。(著作権に触れないくらいの感じで動画に)いかがなものだろうか?皆川達夫氏の洞察や推論は素晴らしい、と感じた。もともと三味線が専門であった八橋は、九州の賢順という僧侶の興した筑紫流に師事したらしい。とすれば、キリシタン大名・大友氏の支配していた土地由来で、ヨーロッパの音楽や作曲技法に触れたのではないかという推定にかなりの蓋然性はあると思う。八橋検校はヨーロッパ音楽を学び、それは日本音楽がより世俗化してゆく変化に強い影響を与えたのである。そう感じた。他方、いくつか気になるところはあり、隠れキリシタンのための音楽を作った、という前提について、八橋検校が生まれたのは徳川による伴天連禁止の後であるということ、つまり、隠れキリシタンの為の音楽を作るという動機や、そもそもの需要があったのかどうか、という疑問である。皆川達夫氏のCDの演奏だが、やはり文化的・思想(宗教)的背景が異なる、と感じる。確かに形式が一致しているのだとしても、「クレド」の背景にある宗教観を「六段」は表現しているのだろうか?短歌の形式が時代や文化、空間を超越しているように、形式そのものが必ずしも思想や文化を表現しない。ましてや、渡来の形式ならばなおさら、なのではないだろうか。文化的背景が異質である楽曲が、四百年も一般に当地で弾き継がれてきた、という仮定も考えにくい。もしかすると「クレド」伴奏に六段が使われたかもしれない。が、作曲者である八橋の意図はそうした宗教性を帯びてはいなかったのではないか、と、CDの演奏を繰り返し聴きながら僕は感じた。ならば、「六段」とは何なのか。八橋とほぼ同年代であるバッハの作品は古典的な作曲手法に基づいている、という(詳しくないので詳述できないけど…)。そして非常に高度で緻密な「フーガ」などへと発展した、と思う。ともあれ、大バッハの示した方向性は、その後の西洋音楽の発展に大きな影響を及ぼすものだったに違いない。八橋は今に続く日本伝統音楽の祖とも言える。先にも述べたが八橋以降、一定の様式が確立し、日本音楽は著しく発展を遂げた。例えば、箏は宮中雅楽や一部の寺院で嗜まれるものであったものが、八橋からの箏は雅楽箏に対置して「俗箏」と称せられたように、一般に楽しまれる音楽として普及をするのである。もちろん、地域性や文化的背景が異なるわけで、ヨーロッパでの音楽の発展と、日本の音楽の有り様は同じではない。しかし、ヨーロッパの作曲技法を手に入れた“第一世代”である八橋が向かった方向は、もしかしたらバッハが志向した道のりと同じだったのではないか?「六段」が、高度で精緻に作曲技巧を凝らした作品であった、としたら。もう二十年近くも前になるか…師匠の宮下伸が「六段」について話していたとき、「六段は各段を重ねて合奏もできるんだ」と、ひとこと語ったことが、ずっと僕の脳裏に印象深く残っていた。「六段」は箏を学び始めると必ず習う練習曲の様な位置付けだ。「六段」を弾けるようになると、演奏に必要な技術を一通り修めたとして『初伝』の免状を受けられる(少なくとも僕のところでは)。言い換えると、演奏者にとって「六段」は、抑揚のあまりない「ちょっと面白くない古典曲」(私見です、スミマセン…)でもある。六段とはこのようなものだ、という「刷り込み」が我々演奏者にはあるわけでもあるが、そうした思い込みをいったん捨てて、あらためて楽譜を眺めてみる。これって、そもそも多声音楽なんじゃないか?いま僕ひとりの「脳内流行」しているテーマである(笑)。(2023.1.25) ... See MoreSee Less
View on Facebook

4 weeks ago

秀龍
謹賀新年本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます令和五年元旦 秀龍 ... See MoreSee Less
View on Facebook

3 months ago

秀龍
先日、瀬戸内地方から関東への帰途、奈良に立ち寄った。その前日、橿原市にある学生時代からの友人・亀元君と「メシでも」と打合せしていたところ「天川」へ向かいたい気持ちが湧き起こってきた。奈良盆地から南へ、吉野山につらなる大峰山系へ分け入った秘境に天川村はあって、そこに「天河弁財天」がある。弁財天とはインドではサラスワティー神であって、とりわけ芸能にまつわる信仰が篤い。その大峰山は古くから修験道によって拓かれた地で、スピリチュアル系においてはパワースポットとして知られている。地中の大きな磐座がエネルギーを集めているのだとか。学生時代、天河弁財天の存在を知ってどうしても行きたくなり、地図を調べて一人で夜中、オンボロ車で京都から出発した。冬場であって、山中へ入ると雪道となり、細い雪道の峠を何度も越えた。ようやく弁財天の駐車場へ滑り込むと、夜が明けていた。車から降りて雪を踏みしめていると、神職や巫女姿の人たちが境内を掃き清め始めた。それからしばらくすると、小高い丘の上にある拝殿から太鼓の音が、そして宮司の祝詞が清冽な空気の中を響き渡ってきた。その響きを聞きたくて、思い立つ度に天川へ何度も出かけた。件の亀元君も何度か同伴した。それが二十代の半ば頃を境に、自分自身が故郷の群馬へ帰ったこともあり、天川からはすっかり縁遠くなってしまった。身辺が慌ただしくなり、行きたいと思っても足が届かなかった。二十年の空白。橿原で亀元君と合流し我々は天川へ足を向けた。トンネル・道路がかなり整備されて、細い山道を走ることがほとんど無かったことに驚いた。橿原市から1時間ちょっとで、秋の冷たい空気に包まれた天河弁財天の駐車場へ到達した。夕刻であって、朝拝の祝詞を聞くことは叶わなかったが、神社の佇まいは変わらなかった。神殿のある丘の下にある境内や社務所などは水害に見舞われたと聞くが、見事に往年の姿を取り戻していた。階段を上り拝殿へ辿り着くと、記憶の中のお社は真新しい白木の様相であったものが、年数を経て重みのある色合いへと成熟している。拝殿から上方へ神殿を拝む空間の静寂は変わらなかった。二十年間自分自身もそれなりにいろいろあった筈なんだけど、この静寂の中にその時空が溶け込んで消えてしまって、二十年前の自分と何の間隙もなく繋がった感覚がした。そして、人生の最も忙しい三十代・四十代の自分の二十年は、神仏に護られてあったのだなあ、と、有り難さが身にしみた。神仏の前には、ほんのささやかな命の時間であるのかもしれないけれども。その神前で、まずは先日81歳を迎えた僕の箏の師匠、宮下伸先生を護って欲しい、と祈った。それから僕のささやかな人生の後半について思いを馳せた。型どおりに拝礼をしたあと、「ようやく呼ばれたよなあ」と傍らの亀元君に話しかけた。亀元君は、地元に近いだけに、その後何度も天川へ足を運んでいる。「参拝した後は、必ず何かがあるんですよ」と彼は言う。彼は経営者であるので、僕なんかよりも苦労は多いのだけれども、苦境を打開するような経験があったのだと。帰り際、厳しいですよ、とわざわざ断り書きのある天河弁財天のオミクジを引いた。過去に「凶」だの「大凶」だの、ろくな思い出が無い(笑)。亀元君は「吉」、僕は「小吉」だった。上々の成果であった。 ... See MoreSee Less
View on Facebook

3 months ago

秀龍
ぼくの先生、宮下 伸は今日81歳に。60年以上を芸道に捧げ演奏家・作曲家として箏の世界の先頭を突っ走ってきた。そして、走りつづけている。僕が先生の直弟子となって、ちょうど20年。人生のイベントはたくさんあったけれど、先生の弟子であり続けられていることが、本当に有り難い。先生、いつまでもお元気でいて欲しい。 ... See MoreSee Less
View on Facebook

8 months ago

秀龍
僕の師匠、宮下伸。今年は81歳に。師匠の直弟子になって二十年。いろんな事はあったが、不肖の弟子は本当に不肖で、ただただこの二十年を悔やむばかりだ…先日、同門の先生の演奏会があり、僕は運営のお手伝いに。師匠は特別出演のため来場、成り行きで、僕は師匠の側についてお世話係に…楽器を動かしたり水をもってきたり、とにかく師匠のご用をする。実はコロナ禍もあり、しばらく師匠にお会いしてなかった。うまく状況を言葉に落とし込むのが難しいのだけれど、師匠の一挙手一投足に、自分の意識をチューニングして控えている時間の貴重さ重要さに、あらためて気がついて、気がついて自分で驚いた。ずっとお側にいたいなあ、と感じた。いつ罷免されても不思議じゃないような不肖な弟子の、僕の人生の後半戦、どこまで師匠の「ご用」に仕えられるのだろうか。草履を揃えるご用だけでもいいんですよ、僕なんかは。演奏は、いつになく深く力強い爪音で、心の奥まで沁みた ... See MoreSee Less
View on Facebook