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3 weeks ago

秀龍
先日、瀬戸内地方から関東への帰途、奈良に立ち寄った。その前日、橿原市にある学生時代からの友人・亀元君と「メシでも」と打合せしていたところ「天川」へ向かいたい気持ちが湧き起こってきた。奈良盆地から南へ、吉野山につらなる大峰山系へ分け入った秘境に天川村はあって、そこに「天河弁財天」がある。弁財天とはインドではサラスワティー神であって、とりわけ芸能にまつわる信仰が篤い。その大峰山は古くから修験道によって拓かれた地で、スピリチュアル系においてはパワースポットとして知られている。地中の大きな磐座がエネルギーを集めているのだとか。学生時代、天河弁財天の存在を知ってどうしても行きたくなり、地図を調べて一人で夜中、オンボロ車で京都から出発した。冬場であって、山中へ入ると雪道となり、細い雪道の峠を何度も越えた。ようやく弁財天の駐車場へ滑り込むと、夜が明けていた。車から降りて雪を踏みしめていると、神職や巫女姿の人たちが境内を掃き清め始めた。それからしばらくすると、小高い丘の上にある拝殿から太鼓の音が、そして宮司の祝詞が清冽な空気の中を響き渡ってきた。その響きを聞きたくて、思い立つ度に天川へ何度も出かけた。件の亀元君も何度か同伴した。それが二十代の半ば頃を境に、自分自身が故郷の群馬へ帰ったこともあり、天川からはすっかり縁遠くなってしまった。身辺が慌ただしくなり、行きたいと思っても足が届かなかった。二十年の空白。橿原で亀元君と合流し我々は天川へ足を向けた。トンネル・道路がかなり整備されて、細い山道を走ることがほとんど無かったことに驚いた。橿原市から1時間ちょっとで、秋の冷たい空気に包まれた天河弁財天の駐車場へ到達した。夕刻であって、朝拝の祝詞を聞くことは叶わなかったが、神社の佇まいは変わらなかった。神殿のある丘の下にある境内や社務所などは水害に見舞われたと聞くが、見事に往年の姿を取り戻していた。階段を上り拝殿へ辿り着くと、記憶の中のお社は真新しい白木の様相であったものが、年数を経て重みのある色合いへと成熟している。拝殿から上方へ神殿を拝む空間の静寂は変わらなかった。二十年間自分自身もそれなりにいろいろあった筈なんだけど、この静寂の中にその時空が溶け込んで消えてしまって、二十年前の自分と何の間隙もなく繋がった感覚がした。そして、人生の最も忙しい三十代・四十代の自分の二十年は、神仏に護られてあったのだなあ、と、有り難さが身にしみた。神仏の前には、ほんのささやかな命の時間であるのかもしれないけれども。その神前で、まずは先日81歳を迎えた僕の箏の師匠、宮下伸先生を護って欲しい、と祈った。それから僕のささやかな人生の後半について思いを馳せた。型どおりに拝礼をしたあと、「ようやく呼ばれたよなあ」と傍らの亀元君に話しかけた。亀元君は、地元に近いだけに、その後何度も天川へ足を運んでいる。「参拝した後は、必ず何かがあるんですよ」と彼は言う。彼は経営者であるので、僕なんかよりも苦労は多いのだけれども、苦境を打開するような経験があったのだと。帰り際、厳しいですよ、とわざわざ断り書きのある天河弁財天のオミクジを引いた。過去に「凶」だの「大凶」だの、ろくな思い出が無い(笑)。亀元君は「吉」、僕は「小吉」だった。上々の成果であった。 ... See MoreSee Less
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4 weeks ago

秀龍
ぼくの先生、宮下 伸は今日81歳に。60年以上を芸道に捧げ演奏家・作曲家として箏の世界の先頭を突っ走ってきた。そして、走りつづけている。僕が先生の直弟子となって、ちょうど20年。人生のイベントはたくさんあったけれど、先生の弟子であり続けられていることが、本当に有り難い。先生、いつまでもお元気でいて欲しい。 ... See MoreSee Less
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6 months ago

秀龍
僕の師匠、宮下伸。今年は81歳に。師匠の直弟子になって二十年。いろんな事はあったが、不肖の弟子は本当に不肖で、ただただこの二十年を悔やむばかりだ…先日、同門の先生の演奏会があり、僕は運営のお手伝いに。師匠は特別出演のため来場、成り行きで、僕は師匠の側についてお世話係に…楽器を動かしたり水をもってきたり、とにかく師匠のご用をする。実はコロナ禍もあり、しばらく師匠にお会いしてなかった。うまく状況を言葉に落とし込むのが難しいのだけれど、師匠の一挙手一投足に、自分の意識をチューニングして控えている時間の貴重さ重要さに、あらためて気がついて、気がついて自分で驚いた。ずっとお側にいたいなあ、と感じた。いつ罷免されても不思議じゃないような不肖な弟子の、僕の人生の後半戦、どこまで師匠の「ご用」に仕えられるのだろうか。草履を揃えるご用だけでもいいんですよ、僕なんかは。演奏は、いつになく深く力強い爪音で、心の奥まで沁みた ... See MoreSee Less
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6 months ago

秀龍
macに、箏の師匠のアルバムからはじまって、CDに焼いていた過去の録音も収める作業を続けている…眠っていた音源が、すぐに聴けるようになっていく。CDRの何枚かは、MDに録音した師匠レッスンの記録。古いものはもう二十年前。なんと貴重な録音か、と思えた。そこで思い立って、ダンボールの中に収め今まで封印していたMDの袋を開くと、ざくざくと師匠の魂魄のこもったレッスンの記録が!MDの時代の後の二十年間も勿論、師匠のレッスンを受けてきたのだけど、しっかりと受け止めて成長の糧と為してこられたのだろうか、と齢五十を目前にして、あらためて考え込んでしまった。何しろMDの山には、その頃の自分自身の芸への思いや姿勢が、師匠の魂魄と共に込められているように思えた。それぞれのラベルの書き込みが、積み残した宿題のような気がして、ものすごく切なくなった。親に置いてかれた子どものような気分だ。幸い、まだMDを聴くのが可能なデッキ(CDRにも焼けたはず)が手元に残存している。先に行った親の姿を追いたい、追いかけたい。僕は、まだ間に合うのだろうか。 ... See MoreSee Less
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6 months ago

秀龍
仕事の関係でMacBook Airを新調。通常の楽曲は今や、Spotifyなどのサブスクでしか聴かなくなったけど、芸関係(邦楽)は別(サブスクにほとんど無いから)。箏の師匠のアルバムは全てmacに読み込んでおく(ついでに、過去の自分の演奏記録もこっそりと)。師匠との直接的な師弟関係は二十年となる。自分の若い頃の師匠レッスンなどの録音、関係性を思い起こすものも続々発掘される。また、macに取り込みながら師匠の音色を再認識…あらためて魅了される。これまで、家庭を持つことにより糊口をしのぐ為の仕事に忙しく、長らく芸の進歩から遠ざかっていた。小学校で教えたりする機会は継続していたが、コロナ禍を機に途絶え(泣)、この世界からも遠ざかるのかなあ、と漠然と寂寥感を感じたりしてたのだけれども、この1月にあるところで演奏し、まあまあ無難にはこなしたが、不甲斐ない演奏を反省し、以来、時間あるごとに「リハビリ」を繰り返し、自分(師範だから)で自分に『免状』出してもいいかな、くらいに、ようやく手が戻ってきた…「糊口をしのぐ」ための職場環境が変わったこともあり、若い頃並みに音に集中できるような精神性も取り戻してきたように感じた。そうしたら不思議なことに、来年の演奏依頼が舞い込んできた。さっきmacに取り込んだ、二十年前『ラジオ高崎』で喋った自分の話に、芸の心を「説諭」され、更正(?)した心を以て、人生の第二幕に臨めるかな、と、ふわっと思える感じになってるアラフィフの今日この頃。 ... See MoreSee Less
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