秀龍 SNS

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都心で仕事してる盟友と時間がうまく合い、会食…

強い日射しを浴びながら、海にでも行きてえなあ、などと放談しつつ青山から赤坂界隈をぶらついてたら、路地の奥に沖縄料理の店を発見!

南国の雰囲気に、ふらりと引き寄せられる…。

お店の女将さんは石垣島出身、とのこと。

友人はソーキそばを、僕は八重山そばを注文。肉の小さく切ってあるのが八重山なんだとか。すごくうまかった。

友人はオリオンの生。

運転のある僕は、卓上のポットのさんぴん茶。

これがまたよく冷えていて、生に対抗するわけではない(笑)が、やたらとうまかった。

もう夏だな…。
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最近、自分は何をやってるんだろう、と自分自身の在り方について考え込むことが多くなってるように感じます。

オトナになるのが遅過ぎるんじゃないの?、と呆れられそうなことを言ってしまってますが、この度は独白モードで長文の投稿です。

もしご縁があったら、ご一読のほどを…

箏曲の世界で生きたい、と二十代終わりの頃に本気で取り組んでから早15年くらい経ちました。

しかし教授活動や演奏活動「専業」期間中、経済的に非常にリスキーで厳しい思いをしたこともあり、その後はほとんどの期間、糊口をしのぐための稼業を併用しつつやってきました。

というか、音楽活動の継続を諦めてしまう局面が何度もあり、そのたびに師匠や仲間に励まされてきた、というのが実情です。

いろいろな経験が芸の襞になる、とは師匠がよくかけてくれる言葉ですが、その襞に挟み込まれてしまっているかのような我が人生。挟み込んでいるのも自身の所業のせいか、と感じるのではありますが。

さて、15年も経つと周囲の人々も(あきらめたり、あきれたりして)一巡し、そして独りになってあらためて、どうして「自分が箏曲をやる必要があるのか」今更ながら振り返ってみました。

自分が自分の一番の理解者だ、という基本に立ち返り、初志と、これまでの自分の世間での“用いられ方”を考えながら、授業でのお話のような「分かりやすい自己紹介エッセイ文」をしたためてみました。

いずれホームページのリニューアルにあわせて使用していこうと考えています。

皆様、ご笑覧の上、勘違いの訂正・苦情などいただければ幸いに存じます…

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

伝統音楽で世界平和の実現を!

私こと秀龍は、そんなコンセプトで活動を始めて十余年…。

「何をワケの分からないことを…」

そんな疑問を自分自身でも抱きつつ、“初志”を立たせたインスピレーションを信じながら、演奏活動、そして千人を超える小学生~大学生院生までの邦楽器を使った講義や授業を実施してまいりました。

“伝統音楽の音に触れるだけで、世界は平和になる…”

そんなシンプルな想いが湧き上がったのは、音楽活動を始める前のこと、師の奏でる爪音に「七色の澄み切った豊かな光が溢れ出てくる」のを感じた時でした。

■龍が吠える

このインスピレーションを受けて、秀龍の邦楽授業の生徒が、ある表現でメッセージを寄せてくれました…

「“龍”の吠え声を聞いた」

と、いうコトバでした。

その素敵な感性を持った小学生は、秀龍の演奏とお話を聞くと、心の中に“龍”のイメージを結んで、しかもそれをコトバだけでなく、秀龍と龍をイラストにも描いて渡してくれたのです。

…龍が吠えると平和になる?

そんな龍と平和についての話が、そのまま秀龍の活動の目的…ミッションの説明になると思います。

ちなみに、秀龍は『箏』の演奏家なので、これは〈こと〉の話、まずはその歴史の話題から…

■命がけの交易

今をさかのぼること千三百年近く昔、日本が飛鳥時代と呼ばれていた時に、たくさんのモノや知識が「遣唐使」とよばれる使者達ともに海を渡って大陸からやってきた、という出来事がありました。

日本は海に囲まれていますから、日本にやってくるもの、また日本から出て行くもの、それらは船を使って行ったり来たりしていたのです。

しかも、その頃の船は風まかせ、海流まかせというシロモノですから、みんな命がけで海を渡っていました。大陸との間の航路を望む岬などの場所には、人々が航海の安全を祈った、その祭壇などの痕跡が今でも残っています。

これが大陸の国ならは長い道のり、砂漠を抜け、高い山を超え、あるいは危険なジャングルを通って…、海が無くても人々は、やはり必死になって国々や地域を結んでいたのです。

その冒険の理由は、商売をして生きるためだったり、自分の国の命令のためだったり、勉強したい知りたいという強い気持ちのためだったり…様々でした。

そうした、交易の品々の中に楽器もあったのです。

〈こと〉つまり糸で音を出す楽器もその中にありました。

■“龍”の神さま

ところで日本にはもっと古くから、「琴を弾く少年の埴輪」が出土しているように、もともと弦楽器があったことが知られています。

そんな古代になると、その楽器がどこからやってきたのか、はっきりとは分かりません。

秀龍が考えているのは、想像以上にはるか昔から、人々は海から大陸から、お互いに交流していたんじゃないか、ということなのです。

氷河期、日本列島が大陸と地続きだった頃に歩いてきた人々がいたのかもしれないし、遣唐使の時代よりももっと小さなフネで移動する人々がいたのかもしれません。

弦楽器は(他の楽器もそうですが)世界中に似たような作りや仕組みのものが散らばっています。

楽器は様々な地域を何度も行ったり来たりして影響しあった、その結果が現代の楽器の姿だと言えるでしょう。

そんな古代の伝統楽器のあった日本に、飛鳥時代さらに大陸で使われて発展してきた仲間が加わったのです。

さて、大陸から渡ってきた『箏(こと)』は、大陸の文化の中で、四方を守る神の一つ、青龍にちなんで龍の化神であるとされていました。

龍角・龍口・龍甲・龍足など、箏の各部分は龍の身体として呼ばれます。

飛鳥時代を経て、日本の〈こと〉も、“龍”の神さまということになったのです。

“龍”は日本の伝統音楽の大陸とのつながり、交流の証しとも言えます。

■消える“龍”

いま日本で、伝統音楽に親しむ人は、残念ながら少なくなっているようです。

交通や情報技術の発達で、文化の交流がとても盛んとなっている現代は、楽しむ音楽などのジャンルがとても多くなっていて、その中の伝統音楽のしめる割合が少なくなっているのかもしれません。

その上、子どもの数の少なくなる少子化が、伝統音楽人口の減少に拍車をかけていると言って間違いないでしょう。

このままでは、伝統音楽はこのまま消えてしまいそうです。

“龍”は吠えるどころか、「絶滅」寸前のようにも思われます。

伝統音楽が日本に伝わり、人々に親しまれてきた歴史や道のりを考えてみると、それは私たち日本人が、生きて歩いてきた歴史や道のりと全く同じものだということが言えます。

多くの国や地域の人々との交流やその旅路の「記憶」を、伝統音楽は持っているんじゃないかと、秀龍は考えるのです。

つまり、箏の演奏家である自分にとって、伝統音楽がたどってきた道のりは「“龍”の記憶」なのです。

その「記憶」も、“龍”とともに消え去ってしまうのでしょうか。

■また“龍”は吠える

日々の糧を元手に人間は生きていかなければなりませんから、商売にすることがなかなかに難しい音楽を続けてやっていく、ということは自分の想像していた以上に厳しいものです。人口の少ない伝統音楽ならば尚更といえるでしょう。

「自分が箏をやっていくことに意味があるんだろうか」

秀龍はそう、何度何度も考えました。でも、結論をいうと自分はやっぱり箏の音色が好きなのです。

しかし、好きなだけでは続きません。
仕事としてやっていく以上は、意義がなければなりません。

幸いであったのは、小学生から大学生まで、幅広い層の若者たちに、教育として箏を教えてきたということ、働きとしては僅かなものだったかもしれませんが、毎年毎年小さなある「気付き」を重ねてきたことであったのです。

秀龍は、伝統音楽を知らない若者たちが、箏の音色にたいして積極的に反応していることを感じていたのです。

その僅かな感覚が千以上積み重ねられ、そして「“龍”の吠え声を聞いた」というコトバに結びついたのでした。

若者たちの、心の奥の方から“龍”が吠えるのを、秀龍は聞こえることに気がついたのです。

■“龍”の記憶

伝統音楽の音色が日本人の心に触れるとき、その記憶、歩んできた旅路がよみがえるのです。

「記憶」に刻まれているのは、遠く離れた人々との絆、つながり、そしてそれを可能にした戦乱のない、平和な世界です。

伝統音楽により、人々の心の中に平和な世界をよみがえらすことができるのです。心の平和は、次第に実際の世の中を平和へと変えていきます。

そのために、ひろく世の中に“龍”の声を響きわたらせることが、とても大切で必要なことだと秀龍は思います。

秀龍一人では難しいことでも、たくさんの若者たちの、心の中から“龍”が吠えながら飛び立っていけば、きっと大きな力となります。

平和な世の中を実現する、“龍”が力強く天空を翔るようにすること、それが秀龍の仕事なのです。

①公教育における指導を継続し、広めていく。

②人々の意識に伝統音楽のエッセンスを浸透させるため、指導研究・創作・表現等の活動を実施する。

③社会に平和と調和を実現させる。

岡部秀龍(Okabe Syuryo)略歴:

1973年群馬県生まれ。前橋高校、立命館大学卒。宮下伸箏曲研究所主任教授。箏曲宮下社師範。特定非営利活動法人伝統芸術ライブラリー理事長。

幼少より箏曲を宮下秀冽の直弟子・早河秀桂に学ぶ。その後、箏・三十絃奏者、作曲家、家元である宮下伸の直弟子となる。 現在、創作・演奏活動のほか、大学・中学校・小学校などでの伝統音楽指導を実施している。

受賞歴等:第42回高崎新人演奏会オーディション合格、第32回国際芸術連盟新人オーディション合格、第7回長江杯国際音楽コンクール・アンサンブル部門一般の部A第2位(1位無し)、第21回TIAA全日本クラシック音楽コンサート・新人賞、第14回アジアクラシック音楽コンサート・新人賞、第12回くまもと全国邦楽コンクール・奨励賞、第13回全国箏曲祭全国箏曲コンクール・奨励賞
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朝方は冷え込んだものの、昼間には春の陽気が戻った。

今日の午後は、師匠・宮下伸先生に稽古をつけていただく。今日決まった曲なので、まずは初見で受ける。

この曲は随分と前になるが先生のアルバム『The ORIENT』に収録された「悠久なる山河」の 合奏曲バージョン。そのソロでの弾き方をまず習う。

アルバムでは韓国の楽器・チャング(つづみの一種だが、バチを用いて演奏する)と競演していて、どこか大陸的な響きのソウルフルな演奏を、僕は繰り返し聴いていた。

その為か楽譜は初見でも、曲は身体に染みついていて、手指が動き概ね弾くことが出来た。課題は強弱表現だ。宮下曲は微細な強弱と爪音の余韻でのデリケートな表現が多い。上手く弾きこなしたいな、と思った。

将来的に和太鼓とのセッションも考えてみよう。
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本日は高崎市・岩鼻小学校五年生の、箏による特別を実施。

伝統音楽(民族音楽)は、太古より他の国や民族との深い絆があること、そして日本に到来した音楽や楽器は日本の気候風土と日本人の感性に合わせるように発展し、現代に至るということなど歴史のお話しをする。そして用意しておいた変奏曲を使い、用いられる音階の歴史的な変遷を通して、日本人の感性に合わせた発展とはどんなものか、について耳を通して学習。

あとは子ども達と「さくらさくら」の曲で合奏したりと、楽しい実習の時間を過ごす。

岩鼻小学校で音楽を担当している先生とは、もう13年来?の長きに渡る授業でのお付き合い。先生の転任と共に授業校も移動しながら、インフルエンザによる中止や大雪など乗り越えつつ授業を続けてきた。「トシを取るわけだ」とお互い笑いながら、十余年の授業風景や子ども達の表情が脳裏によみがえってくる。

相も変わらず発展性のない自分はともかく、子ども達の邦楽に触れる機会が、今後も末永く継続なされるように、そんな思いを強くした。
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先月に行った前橋・山王小学校の授業が、上毛新聞の記事となった。

育った街の川に飛来した白鳥の群れの写真が、たまたま上に。
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