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昨日、早稲田大学名誉教授・濱口晴彦氏の主宰する「大磯コミュニティカレッジ」にて、箏の講義と、ピアノ+箏演奏。![]()
前日までの関東の大雪も影響なく、春の陽気に。![]()
大磯駅にほど近い、隠れ家のような会場は、サロンのようなとても素敵な雰囲気でした。![]()
ピアニストの大石みゆきさんが毎年ご担当されている時間に、箏をもって参入。![]()
江戸時代初期に作曲された、我々にとってバイエルンに近い存在である「六段」は、大変重要な曲であるというのに、その成立が謎に包まれています。かつて、グレゴリオ聖歌に由来するのではないか、という主張が話題となりました。![]()
講義では、縄文琴、弥生琴、渡来帰化人の琴から我々日本人の「琴の歴史」をたどり、グレゴリオ聖歌説を検証しながら、「六段」の示す意味を探りました。![]()
大石みゆきさんは、箏曲『春の海』の作曲者・宮城道雄が大のクラシックファンであり、特にドビュッシーの作品に強く影響を受けたエピソードを披露され、由来するドビュッシー曲をソロで。魅了される音色…ピアノっていいなあ…。![]()
そして沖縄音階による「琉歌」の箏ソロ、最後に「箏とピアノの為の水琴抄」を大石さんと。両曲とも秀龍の師匠・宮下伸の作品から。![]()
大石さんは秀龍の師匠との知己という深いご縁もあり、これからの新たな活動の芽吹きを感じさせる、そんな素晴らしい演奏となりました。
来月に「六段の調べ」を弾く機会があり、いろいろ調べていたら皆川達夫氏の『洋楽渡来考』に遭遇。![]()
もともと僕自身、「六段」の作者、八橋検校はJ.S.バッハと年代が重なっていて(八橋の死去したとされる月の半年前にバッハが誕生)、以前から小中学校で箏のお話をする時の“小ネタ”にしていたものだった。![]()
皆川達夫氏は、学術的な目線でいわゆるキリシタン音楽と「六段」成立の関係性を論じていた。![]()
本論については、僕の不勉強で全く知らなかったのだが、僕自身キリスト教の教会へ通っていた経験もあり、大変魅力的な話に感じたので、すぐに関連したCDをAmazonで見つけて発注した。![]()
「六段」は、一段目が27小節、二段~六段は全て26小節で構成されている。![]()
その「六段」が、ラテン語聖歌「クレド(信仰宣言)」の形式とぴったり一致する、というのである。![]()
一段目の最初の一小節目は聖職者の先唱にあたり、一段二段・三段四段・五段六段と、コーラス部を三回繰り返し、六段目の最後の小節は「アーメン」で締めくくられている。と。![]()
CDは10年ほど前のものだが幸い在庫があり、翌日には届いた。![]()
早速聴いた。![]()
合唱団による「クレド」の歌唱に「六段」の箏による伴奏を入れたトラックか一番の注目である。![]()
(著作権に触れないくらいの感じで動画に)![]()
いかがなものだろうか?![]()
皆川達夫氏の洞察や推論は素晴らしい、と感じた。![]()
もともと三味線が専門であった八橋は、九州の賢順という僧侶の興した筑紫流に師事したらしい。![]()
とすれば、キリシタン大名・大友氏の支配していた土地由来で、ヨーロッパの音楽や作曲技法に触れたのではないかという推定にかなりの蓋然性はあると思う。![]()
八橋検校はヨーロッパ音楽を学び、それは日本音楽がより世俗化してゆく変化に強い影響を与えたのである。そう感じた。![]()
他方、いくつか気になるところはあり、![]()
隠れキリシタンのための音楽を作った、という前提について、![]()
八橋検校が生まれたのは徳川による伴天連禁止の後であるということ、つまり、隠れキリシタンの為の音楽を作るという動機や、そもそもの需要があったのかどうか、という疑問である。![]()
皆川達夫氏のCDの演奏だが、やはり文化的・思想(宗教)的背景が異なる、と感じる。![]()
確かに形式が一致しているのだとしても、「クレド」の背景にある宗教観を「六段」は表現しているのだろうか?![]()
短歌の形式が時代や文化、空間を超越しているように、形式そのものが必ずしも思想や文化を表現しない。![]()
ましてや、渡来の形式ならばなおさら、なのではないだろうか。![]()
文化的背景が異質である楽曲が、四百年も一般に当地で弾き継がれてきた、という仮定も考えにくい。![]()
もしかすると「クレド」伴奏に六段が使われたかもしれない。が、作曲者である八橋の意図はそうした宗教性を帯びてはいなかったのではないか、と、CDの演奏を繰り返し聴きながら僕は感じた。![]()
ならば、「六段」とは何なのか。![]()
八橋とほぼ同年代であるバッハの作品は古典的な作曲手法に基づいている、という(詳しくないので詳述できないけど…)。そして非常に高度で緻密な「フーガ」などへと発展した、と思う。ともあれ、大バッハの示した方向性は、その後の西洋音楽の発展に大きな影響を及ぼすものだったに違いない。![]()
八橋は今に続く日本伝統音楽の祖とも言える。先にも述べたが八橋以降、一定の様式が確立し、日本音楽は著しく発展を遂げた。例えば、箏は宮中雅楽や一部の寺院で嗜まれるものであったものが、八橋からの箏は雅楽箏に対置して「俗箏」と称せられたように、一般に楽しまれる音楽として普及をするのである。![]()
もちろん、地域性や文化的背景が異なるわけで、ヨーロッパでの音楽の発展と、日本の音楽の有り様は同じではない。![]()
しかし、ヨーロッパの作曲技法を手に入れた“第一世代”である八橋が向かった方向は、もしかしたらバッハが志向した道のりと同じだったのではないか?![]()
「六段」が、高度で精緻に作曲技巧を凝らした作品であった、としたら。![]()
もう二十年近くも前になるか…師匠の宮下伸が「六段」について話していたとき、![]()
「六段は各段を重ねて合奏もできるんだ」![]()
と、ひとこと語ったことが、ずっと僕の脳裏に印象深く残っていた。![]()
「六段」は箏を学び始めると必ず習う練習曲の様な位置付けだ。「六段」を弾けるようになると、演奏に必要な技術を一通り修めたとして『初伝』の免状を受けられる(少なくとも僕のところでは)。![]()
言い換えると、演奏者にとって「六段」は、抑揚のあまりない「ちょっと面白くない古典曲」(私見です、スミマセン…)でもある。![]()
六段とはこのようなものだ、という「刷り込み」が我々演奏者にはあるわけでもあるが、そうした思い込みをいったん捨てて、あらためて楽譜を眺めてみる。![]()
これって、そもそも多声音楽なんじゃないか?![]()
いま僕ひとりの「脳内流行」しているテーマである(笑)。![]()
(2023.1.25)