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寺尾小学校特別授業

先日、高崎の観音山丘陵の際にある、寺尾小学校へ行って参りました。2時間連続、6年生全員(69名)を対象とした同校での授業は初めてでした。
もともと5面の箏を学校が所有していて、音楽の授業で「さくら」を習っていた、とのことで、昨年までやはり高崎市内の矢中小で行っていたものとは、内容を変更する必要がありました。
当日は市内の中学校から5面を借りてあり、計10面の箏で授業を行うことが出来ました。場所は体育館。広いスペースでのびのびと(?)授業を行いました。
最後には、「さくら」の旋律組と、グリッサンドやトレモロで「桜の散る様子」を表現する効果音組とに分け、合奏を行い、しめくくりました。
授業を受けた児童たちに、楽しい印象が残れば幸いなのですが・・・。

「邦楽を普及させる」活動の意義は、次のようなものだと考えています。
我々日本人の意識の根底には、この国の気候風土で育まれた「日本人のスピリット」が流れています。様々な国のたくさんの民族が、それぞれの「スピリット」を最大限に発揮・表現することによって、それぞれの個性が相補しあい、地球全体としての「調和」が生み出され、世界が平和になるものだと思います。
例えば日本人の場合、仮に幼い頃から全く西洋式の音楽にしか触れていなくとも、底流には必ず「日本人」としての知性が息づいているはずです。
しかしながら、「知性」が具体的に目に見える行動に反映されていなければ、じゅうぶんな「調和」を生み出すことはできないでしょう。
その具体的手段として、もっとも取りかかりやすいものが、「邦楽」であるのだと思います。
とりわけ、子供たちに対して邦楽実習をおこなうことは、わずかなものであるかもしれませんが、日本や世界の将来について大変意義深いものであると認識し、取り組んでいるのです。

コメント

思いがけず、ブログ拝見することになりまして、少しばかりコメントさせていただきます。

私も日々、子供の将来、日本の将来のことを考えています。
秀龍さんの「邦楽」への思い、とてもすばらしいことだと思います。
私たち人間は、誰でも素晴らしい力をもちながら、それでも決して一人では生きていけません。それは、そうやって生きていくものが人間だから、と私は思っています。すべては、そのことに気づくことではないでしょうか。
人は一人で生きていけない、だから、力を貸してくれているすべてのものに感謝しなければいけません。
たとえば、秀龍さんが自分以外の人を思う気持ち、邦楽から伝えようとしていること  そんなことにも私たちは気づかなければいけないのではないでしょうか。そして、それを伝えていかなければならないのでないでしょうか。

ふみさん、素敵なコメントをありがとうございます!

ふみさんに触発される形でもう少し論じてみたいと思いますが・・・、

和を持ってと尊しとなすところの「和」とは、足を引っ張り合ったり、出た杭を打つようなことなのではなくて、日本の古来の芸術の姿から分かるように、おのおのが最大限に個性を発揮した上での調和の状態をさすものです。「邦楽」のハーモニーというものも、その「和」の状態を具体的に表現しているものだと思います。

既に、ビジネスやプライベートでさえも国境を越えたコミュニケーションが当たり前の世の中となっています。
その中で、我々日本人が果たしうる役割とは、何なのでしょうか?

私は、そのエレメントの一つが「邦楽」にあるのだと確信しています。

また音楽は、そもそも平和から生まれて、さらに平和を創り出すものです。そんな思いを、どこまでも追いかけていきたいと思うし、それが芸をやるものの一番の醍醐味なのだとも感じるのです。

そうですよね、それぞれが様々な音色を持っているから、それが一つになったとき、心を打つものになるんですよね。そのことは、人間と置き換えても同じことですよね。
自分を表すとき、自分のことばかり主張してはそれは独りよがりの自己満足、一人が輝くとき、いつだって力を貸してくれている人たちがいます。そうやって、個々が輝いたとき、本当にすばらしい、輝きになるのですよね。
秀龍さん、あなたが色々な事に気づいて、「邦楽」を捉えたならば、そのことを伝えていくべきです。琴を弾く前に、弾いた後に、なぜ貴方が琴を弾くのか、解り易い言葉で、優しい声で、子供たちに語りかければ、きっと気持は伝わります。音楽も心を動かします。でも、音楽と貴方の言葉が一緒になったとき、もっと多くの心が動くでしょう。
私に言われなくても、やっているかしら。本当は、この言葉は私自身になんです。わたしも、少しでも多くの人に伝えていかなければ、と思っています。
生意気なことを言ってごめんなさい。これからのご活躍、応援しています。さようなら

言葉で語ることもおっしゃる通りとても大切なことですね。言葉でなければ伝わらないことがあると思います。
加えて、音楽の面白いところは、「言葉」になる前の種子のような効果を持っているところです。
音楽に込めたメッセージは、聴いた人の心に浸透して、その人にとって必要なときに思いとして萌芽するのです。その人の置かれている社会的状況であるとか、内的な精神的土壌に即した形で萌芽します。
これはその人の心を養分とするわけですから、より強力な効用を社会にもたらします。
このような音楽を目指して、精進していきたいと考えています。
ふみさん、ありがとうございました!

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