本日は高崎市の群馬医療福祉大学の教職課程において特別講義を実施してまいりました。今回三回目となりました。 この課程をご担当されている講師の今井浩三先生とは、昔からお付き合いさせていただいていて、小学校で音楽を教えてらっしゃいました。テノールのとても良い声をお持ちの音楽家です。今井先生が校長をなさっていた小学校に教えに行ったこともありました。この度のNPOにおいて理事に就任されています。 箏の演奏を交えながら、「伝統」について講義しました。学生の皆さんには熱心に参加していただきました。ありがとうございました!
誕生日に
夜明け前の今、空気は澄んで上弦の月が明るく輝いて道を照らし、星が方角を示している。
氷点下の冷え込みだけれども、目前に目的地を捉えた旅人のように満たされてくる心を感じながら、凛とした空気にどこか清々しさを覚える。
いつかこの道を歩いたような気がする。
初めて踏む道なのだけど、懐かしい。あの時は、目的地に辿り着いたのだろうか。
振り返ると、今年は「特定非営利活動法人伝統芸術ライブラリー」を同志に集まってもらい、設立することが出来た。感謝で一杯である。
その設立趣旨には、伝統芸術の高等教育研究機関の設置もうたっているが、これは七年前に自に定めたマスタープランでは『伝統芸術大学院大学』を示すものだ。
今年に生まれた「種」が、小さいなりでも「カラシダネ」のように、スケールを超えて働く事のできるように、これからの一年、心を尽くしていきたいと思う。
『特定非営利活動法人 伝統芸術ライブラリー』創設
休息日
師匠と
多摩美術大学
26日、東京は八王子にある、多摩美術大学において講義。
多摩美にある、芸術人類学研究所所長・鶴岡真弓先生のゼミ生を中心とした学生に向けて「伝統の音色と現代の邦楽」(学生がつけてくれたタイトル)と銘打ち、伝統芸術に関する話と演奏を実施した。
鶴岡真弓先生とは以前から交流があり、昨年、研究所にお伺いさせていただいた際に、このような企画が持ち上がり、実際に形となったものだ。
伝統芸術というものは世界の各地域における民族文化と交流する中で形成されてきたものであり、その時間の流れと地域性、その相互作用の中に、芸術を実践する個人の意識が介在して具体的な形を表しているものである。
そうした持論と、小中学校や大学における指導経験の話を交えつつ、伝統芸術に関わる中で経験する他文化との繋がりや絆、そこから自然に生まれる平和の精神について、演奏で具体的に聴いてもらいながら触れていった。
終了後、学生の簡単な批評のレポートをいただいた。特に演奏の音色から、光景や色など、様々なものを鋭い感性で感じていただいたようで、嬉しい限りである。
講義後には、研究所にて茶話会を催していただき、学生から直接感想をいただいたり、弦楽器の発祥や伝播などの質問をうけたりと、楽しい交流を深めることができた。
個人的には、いま申請しているNPOの活動の骨格となる理論・理念をひとつの体系的な形にする良い機会となったことがありがたかった。また今後、鶴岡真弓先生、芸術人類学研究所との連携についての話も持ち上がり、今後の自身の新しい活動の展開に対して大きな勇気となったことも感謝である。
祖父
今朝は、ここ数日の荒天と打って変わって快晴だった。現実感を喪うほど澄んで静かな秋の空気を湛えた朝は、昼に移り変わると早くも薄い雲に覆われるのだが、その清らかさは夕暮れになっても感じられた。
今朝方、浅い夢の中で祖父に会った。
七年前にこの世を去った祖父は、上の方から僕の傍までやってくると、それを察知して咄嗟にかくれんぼをした僕の六つになる息子(もっと幼い頃にもみえたが)と戯れてくれたのだ。僕が幼い頃にそうしてくれたように。
僕はそれを、眺めていた。
七年たって初めて夢に出てきた祖父は、僕と話す訳でもなく、‘ここか、ここか…’と、おどけた声を上げながら、かくれた息子を見つけて、息子と一緒に彼の隠れていたカーテンの向こうから出てきた、その瞬間に僕は目が覚めた。
書道家だった祖父は、僕が芸名を受けたとき、刻字でその芸名を彫ってくれた。その文字は今に至るまで、いわば自分のトレードマークとして身につけてきているが、刻字そのものは未完成のままだ。
病気で、体力が落ち始めていた祖父は、僕と一緒に高崎の材木屋に素材の板を買い求めに行ってきて、中国の古代文字で原紙に芸名をしたため、そうして彫り始めたのだが、仕上げを待ったまま入院した。
祖父が亡くなった時、魂はそのまま変わらずそこに居るように感じられて、その時は、あまり寂しくは思われなかった。
その後は僕自身、生きていくのに必死で過ごしていて、立ち止まって過去を振り返る余裕の無い日々が続いた。
しかし七年もたって、ふっと夢の中とはいえ、祖父の姿と声を目の当たりにして、目が覚めた僕は湧き上がってくる感情を押さえられなかった。嗚咽を周りに悟られまいと抑えながら、いや、抑えきれずに声をあげて泣いていた。
祖父が亡くなって七年、それは僕が秀龍として活動して七年ということになる。年齢的には人生も半ばと言えるかもしれない。しかし未だ、人生は言うに及ばず、芸も未完成で中途半端、「夢」の途上も途上だ。
「不惑」に程遠い僕を初心に還らせ、激励するために、優しかったあの祖父が、ほんの少しだけ現れてくれたように思えてならない。
荒削りの板の文字を整えて、彩り、磨き上げて輝くように、未完成の芸、人生を仕上げていこうと思う。
そうして人生を終えたら、迎えにきた祖父がどんな言葉を僕にかけてくれるのか、楽しみにしておきたいと思うのである。
前橋の小学校にて授業
前橋市の山王小学校では、5年生対象の授業。
ユニークなのは、箏を使って創作をするという点である。
担当の小塚先生と、毎年取り組んできている。
「滝」「星」などのイメージ映像から、作りたい曲のイメージを考え、どんな奏法を用いるかを決め、8小節程度の短い曲を自由な発想で創る、という段取りとなる。
秀龍は自作のものを演奏し、そうしてそのような曲にしたのか、ということを説明することいよって、児童の発想を手助けする役割だ。また、イメージを表現する奏法について、実演を行ったりして考える材料や方向性を与えていく。
3人程度のグループで児童は取り組むが、早いグループは1コマの時間内に出来上がってしまう。
児童の発想の豊かさに驚くと共に、「箏」という伝統楽器を用いて創造していくことの意義を深く感じる。