祖父

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今朝は、ここ数日の荒天と打って変わって快晴だった。現実感を喪うほど澄んで静かな秋の空気を湛えた朝は、昼に移り変わると早くも薄い雲に覆われるのだが、その清らかさは夕暮れになっても感じられた。

今朝方、浅い夢の中で祖父に会った。

七年前にこの世を去った祖父は、上の方から僕の傍までやってくると、それを察知して咄嗟にかくれんぼをした僕の六つになる息子(もっと幼い頃にもみえたが)と戯れてくれたのだ。僕が幼い頃にそうしてくれたように。

僕はそれを、眺めていた。

七年たって初めて夢に出てきた祖父は、僕と話す訳でもなく、‘ここか、ここか…’と、おどけた声を上げながら、かくれた息子を見つけて、息子と一緒に彼の隠れていたカーテンの向こうから出てきた、その瞬間に僕は目が覚めた。

書道家だった祖父は、僕が芸名を受けたとき、刻字でその芸名を彫ってくれた。その文字は今に至るまで、いわば自分のトレードマークとして身につけてきているが、刻字そのものは未完成のままだ。

病気で、体力が落ち始めていた祖父は、僕と一緒に高崎の材木屋に素材の板を買い求めに行ってきて、中国の古代文字で原紙に芸名をしたため、そうして彫り始めたのだが、仕上げを待ったまま入院した。

祖父が亡くなった時、魂はそのまま変わらずそこに居るように感じられて、その時は、あまり寂しくは思われなかった。

その後は僕自身、生きていくのに必死で過ごしていて、立ち止まって過去を振り返る余裕の無い日々が続いた。

しかし七年もたって、ふっと夢の中とはいえ、祖父の姿と声を目の当たりにして、目が覚めた僕は湧き上がってくる感情を押さえられなかった。嗚咽を周りに悟られまいと抑えながら、いや、抑えきれずに声をあげて泣いていた。

祖父が亡くなって七年、それは僕が秀龍として活動して七年ということになる。年齢的には人生も半ばと言えるかもしれない。しかし未だ、人生は言うに及ばず、芸も未完成で中途半端、「夢」の途上も途上だ。

「不惑」に程遠い僕を初心に還らせ、激励するために、優しかったあの祖父が、ほんの少しだけ現れてくれたように思えてならない。

荒削りの板の文字を整えて、彩り、磨き上げて輝くように、未完成の芸、人生を仕上げていこうと思う。

そうして人生を終えたら、迎えにきた祖父がどんな言葉を僕にかけてくれるのか、楽しみにしておきたいと思うのである。

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