「宮下伸」学・1 『時代時代の精神がこの国をつくる』④

東京で活動する宮下秀冽は、伸と妹たづ子の父親でもあった。伸は幼少から父・秀冽の稽古の介助をしながら箏曲の手ほどきを受け、ピアノ等西洋音楽の素養も身に付ける。特にフルートはN響の奏者に師事するほどの英才教育ぶりであった。そんな伸であったから、中学時代からのブラスバンドでは、あらゆる楽器を弾きこなした。そして二人とも東京芸術大学へ進学する。伸もたづ子も安宅賞を受賞する。芸大の後、伸もたづ子もそれぞれNHK邦楽者育成会を首席で修了し、「NHK今年のホープ」に選ばれる。さらに伸は育成会の専科生としてさらに研鑽を積むこととなる。

伸の芸大在学中は山田流箏曲の第一人者であった中能島欣一に師事した。中能島欣一の『三つの断章』という曲がある。中能島の若い頃の作品だが、大変に技巧的で難易度の高い曲で弾きこなすのが難しい。どんなに優れた演奏家も、身体の衰えからは逃れられない。中能島は、この曲の演奏を伸に代理で行わせたという。伸は、厳格さで知られる中能島の認める数少ない弟子だったのである。

さらに芸大在学中では日本を代表する民族音楽の研究者であった小泉文夫の薫陶を受けた。後の世界ツアーやシタール奏者・ラビシャンカルとの競演など各国の民族音楽との関わりは小泉が企図した部分が大きかったようである。また、「箏はワールドミュージックである」と述べる伸の音楽の捉え方・思想に強い影響与えたのも小泉であったと考えられる。伸は学生運動にも芸大の中心人物として参加していた。学友会の代表として日比谷公園に籠城した。「あの時だけは稽古サボった」と本人は回顧する。小泉文夫はまたこうした自由奔放な学生達の良き理解者だった。

伸の卓越した演奏や作曲の能力は具体的なプロジェクトや評価に結実していく。芸大を卒業してあまり間をおかずして第一回芸術選奨文部大臣新人賞受賞したのを皮きりに、「宮下伸 箏・三十弦リサイタル」の演奏、作曲により文部大臣より芸術祭大賞を受賞する。また若い頃から政府の依頼や招待によって日本各地や世界各国で公演する。ヴァイオリニストのヴィーツラフ・フデチェック、シタールのラヴィ・シャンカル、フルートのジェームス・ゴールウェイらと次々に共演、それぞれビクター、ポリドール、イギリスRCAによってレコード化された。作曲家として委嘱作品も多く、NHK委嘱「響の宴」の作曲では芸術祭賞文部大臣賞を受賞している。

一方、父秀冽の作品集も伸やたづ子達の演奏によって次々とレコード化された。宮下家は名実ともに、日本屈指の箏曲の名門となっていったのである。

(『時代時代の精神がこの国をつくる』⑤へ続く)

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